かくれんぼ
十二月の中旬がやってきた。
「さて!」
と云って尚子は食卓の椅子から立ち上がると、いつもより丁寧に食卓の上を拭いた。
文箱に入っている、この一年間に届いた手紙や葉書を整理するためである。
長年使って相当傷んでいる文箱だが、中に入っている便りはその年限りの言葉で詰まっている。
「毎年同じ作業を繰り返して。ねぇ」
誰に云っているでもないのに、誰かが傍にいるかのように「ねぇ」と最後に付けた。
「そうなのよ。全く、本当に、ねぇ」
また尚子一人で相槌めいた言葉が続いて出た所で、彼女の細く白い手が突然止まった。
そして呟いた。
「こんなことまで書いておきながら……自分が書いたこと覚えているの? 読んであげますからね」
彼女は、夫の雄一郎が今年元旦の朝、食卓の上で渡してくれた彼からの賀状を、賞状でも読み上げるように、声を大きくして読んだ。
『おめでとう。
互いに元気で新しい年を迎えることができました。
八十代の最後の年です。
今年も楽しくゆきましょう』
読み終わった尚子は涙目になり、夫の椅子をじーっと見つめ
「一体、どこに隠れたんよ」
賀状を打ちながら、幾度も辺りを見回した。
知人からの喪中葉書も次々とポストに入っているが、尚子はまだ夫の喪中葉書を出していなかった。
だが数日後、残りの日数に急(せ)かされ、彼女は彼の書斎に入った。
筆まめだった夫が、常に買い求めていた絵葉書の中から、山が描かれたものを選ぶと、彼が愛用していた太いペンを手にとった。
「あなた、代筆してあげます」
と云い、書き始めた。
『僕は今、ようやくこの絵葉書にある山に辿り着きました。
この先はまだ見えません。
これから先、皆様がいらっしゃる折はお知らせ下さい。
閻魔様(えんまさま)のご指示の後、私が道案内を致しますので。
雄一郎代筆尚子』
彼女は、夫の親しかった人達を、アドレス帳から抜き出し宛名を書いた。
書き終り小さく溜息をついた尚子は、
「もうこれ以後、私の手で夫の名を書くことなど恐らくないわ」
とペンを置いた。
窓の外でも冷たい風が吹いている。
鵯(ひよどり)が庭の千両の実を狙い、ピーピーと姿を見せずに高い声で鳴いた。
尚子は、夫が
『有り難う! 僕もきっとそのように書いたと思うよ』
そう鵯の声を通して云った気がした。
彼女は窓を開け、大きな声でけれど優しく、
「出ておいで。赤い千両の実、今年はいくら食べてもいいよ! 早くおあがり……」
と、昨年まで追い払っていた鵯に声を掛けた。
-fin-
2019.01
『〝起・承・転・結〟の4部構成の〝承〟のところで「そうなのよ」or「そうだ」の同意の台詞で始まる』をテーマに書いたフィクションです。