情の花
八十三歳で大腿骨を骨折した母は、その後、少なからず介助や介護を受けながら、普通の生活を送って来ていたはずである。
その母が、平成十七年(九十三歳)突如として我が家に旋風を巻き起こした。
その日、夜の八時はNHKテレビで、歌謡コンサートが始まっていた。
何時もこの時間に、母は決まって床につく。
寝室に移動しようと思い、椅子から立ち上がろうとした時、若い男性歌手が歌い出した。
「まあ、なんとええ声、眠気も吹っ飛びますわ。この歌の調子のよいこと。好きどすなあ」
正に〝一声惚れ〟である。
曲の最後まで聴き惚れ、聴き終えた彼女は〈氷川きよし〉の名前をしっかりと記憶した。
次の日から、「一目見たい」と言い出した。
私も一時的な憧れだろうと、丁度都合の良い具合に、近い月に京都公演のあることを知り、チケットを予約した。
これが私の大きな誤算だった。
実物を目の前にし、会場の熱気にエネルギーをもらい、九十三歳の体内に変化が起きた。
魔法の威力とはこの事だった。
昨日まで『静』そのもので、
〽ウサギ追いし、かの山~。
と歌っていたのが、
♪お守り袋を抱きしめて。チャチャチャ!
とすっかりリズム演歌調にすり替わってしまったのである。
氷川きよしのCDが日毎に増え、挙句の果てはDVD。もはや、私の苦言など耳に入らず、母は確実に別の世界で恋をした。
我が家に思いも寄らない形で演歌という異文化が入ってきたのである。
母のノーテンキとも、手前勝手ともつかぬ性格にとり入ったこの異文化的演歌で、私はコンサート会場目指し、この月は東へ、来々月は西へと、車椅子と、六十二キロの母の体と共に移動した。
しかし、私がこの移動に付き合った、もう一つの理由には、母の
「勿体ないことです。よお分かっています。けど、この年齢どす。この月が最後かも知れまへんしなあ。それに私が本気で最後に好きになったお人やし」
この言葉に、私は心の中で
『おばあさん、何か変ちがう?!』
と少々あきれながらも、一方で
『好きな人の歌声を聴き、その夜ポックリだとしても、それもまた最高だし……』
そんな風に思いもした。
だがこんな旅も九十九歳で終止符を打った。
それと同時に、我が家に入り込んだ演歌という異文化は終わった。
次に並行して入ってきた異文化が、本格的な介護と看護であった。
先の見えない、そして未経験ばかりのことであったが、この介護と看護の五年間があったから、人間の本当の老いゆく姿と、日々刻々と変わる老いの色の見つけ方を学ぶことができた。
老いの歩みは、自分の予想もしていなかった状態に体が変化してゆく。それは異文化が体に入り込むことだと、八十歳になった私は思う。
この変化に、上手に対応できる術(すべ)を心得られればと願っている。
-fin-
2016.07
『異文化交流』をテーマに書いたエッセイです。