母の金庫
平成二十九年、六月十九日。
梅雨入り宣言の後にもかかわらず、太陽の光は肌を刺すように強い。
その中で老人二人が〝暑い、暑い〟と言いながら立ち話をしている。
現在、満八十歳と七ヶ月の私も見習って、自分に気合いを入れ立ち上がった。
三年と八ケ月前の平成二十五年十月、百三歳で他界した母の遺品を随分と整理したが、後一箱残っていた。
縦横四十センチの長い抽斗(ひきだし)型の木箱である。中身をすべて取り出した。
何の事はない。中に入っていたものと言えば、私が刺繍して母にあげた袋やスカーフ、孫からもらった絵や手紙の束ばかりであった。
その中に一枚、薄紫色のエプロンが混じっていた。
そのエプロンは母が九十歳頃から、食事中に頻繁にこぼすようになり、衣類の汚れ防止用に使用していたものである。
だがそれも、手を通すのが面倒だと言い出し、結局止めてしまった。
取り出して、私が使用する事にした。
両脇に大きなポケットも付き、おしゃれな形だ。
膨らむポケットに両手を突っ込むと、分厚いものが手に触った。
この時、私は何故かとても良いものが入っているような気がしていた。
その予感は当たっていたのだ。
衣料に通す平ゴムで束ねたポチ袋が、お金も入ったままで、両ポケットに二十六袋も入っていたのだ。
ポチ袋の裏をかえすと、
『勿体無い事です。感謝、感謝』
と、一つ一つに書いてある。
このポチ袋は、すべて毎年私が元旦に渡したものや、孫三人からもらったものである。
中でも目を引いたのは、生前最後の年、平成二十五年の元旦、就職して初めての正月休みに来た曾孫からのポチ袋も入っていた。
母にとってはポチ袋の中身でなく、それぞれの気持ちが何より嬉しい宝物となっていたのだと思う。
深さ十七センチのエプロンのポケットは、鍵のいらない金庫となり、母の感謝の気持ちとポチ袋を守っていた。
生前、長い年月を一緒に暮らし、母の事はすべて知っていた私だったが、このポチ袋の事は母も言い忘れて逝ってしまった。
今年も八月の盆には、先祖の人々や父と一緒に母もこの家に帰ってくることだろう。
私はこの薄紫色のエプロンをつけ、迎えダンゴを沢山作って待つ事にしよう。
-fin-
2017.07
『何でこんなところに?!』をテーマに書いたエッセイです。