男性気分を味わった夜
その昔、京都には格式の差はあったかも知れないが、東西南北に遊郭があったらしい。
中には最上位の遊女を置いた処もあり、その遊女は『太夫(たゆう)』と呼ばれていた。
昭和五十三年(一九七七年)前後だったように思う。
私が四十代の頃である。
持前の好奇心が前に出て、かつてから興味のあった島原の中にある遊郭『角屋(すみや)』で、太夫を二時間借り切っての宴会の場に出席したことを思い出した。
島原口には遊郭に入る門があった。
偶然にも知り合いが、呉服問屋の社長から
〝太夫の酌で飲んで遊ぶ会を五人で催すが、来ないか〟
との誘いを受け、私はその知り合いに強引について行き、島原大門(しまばらおおもん)を潜(くぐ)った。
座敷の入口で、招待してくれた社長が太い札束を女主に渡すのが目に入った。
その札の厚みをちらっと見た私は
『今夜の自分は男になる!』
と即座に決めた。
部屋の中央に置かれた長火鉢。
横にはタバコ盆と、三十センチもあろうかと思われるキセルがセットで置いてあった。
私が嫁入りの日以後、座ったこともない分厚い真っ赤な座布団に五人は座った。
暫(しば)らくして、まだ顔にあどけなさが残る少女二人を両脇にして、太夫が静々と入ってきた。
幅広の帯を前に垂らし、大きく丸く結った髪には、それぞれ形の違ったベッコウの櫛(くし)がさしてあった。
大きめに足を廻す裾さばきの度に、かすかな化粧のいい匂いがした。
私の両脇にいた男性二人を、そっと横目で見上げると、何と可愛らしいことか。
今日までに私が会った世の男性の、どの笑みよりも勝り、嬉しそうな顔の表情であり、その中には可愛らしい、はにかみすら覗いて見えた。
そして一方では、太夫の前に垂らす帯に織り込まれた鷹の目が、鋭く私を睨みつけ
『ここは女が来る場所ではない!』
と、私を識別視していたのである。
太夫は、私達五人が並ぶ前で、キセルに刻みタバコを詰め火を点け、一人に渡し、客が
一口吸い終るとキセルを手に受け、付いている女の子に渡す。
その動作を繰り返した。
私が女性であることなど関係なく、私の手にもキセルが渡された。
右の片手で受け、左手でキセルの吸口を自分の口に持っていったとき、
「男はん並どすなあ」
と周りに笑いが起きた。
私は、自分が一家の主婦であるということなど、もうとっくに忘れ去っていた一夜であった。
-fin-
2017.01
『私の○○初体験』をテーマに書いたエッセイです。